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『タンゴ・冬の終わりに』

2006/11/17-19:00開演 シアターコクーン

じっくり考えて、なんて思ってたら風邪ひいたり忙しかったりでもう熟成させすぎになっちゃいました(汗)
結構好きだったのに・・・とりあえず、簡易感想。役者さんで分けてみます。




堤真一(清村盛)
この方の舞台での存在感ってすごい。今回は特に、基本的に狂気の人なんだけど、一見すると狂気に見えない段階から徐々に本当にぱっと見て狂気な人、そしてそこからふと我に返った瞬間までの移り変わりが見事でした。
俳優が、舞台で台詞を語りすぎたため、自分の言葉をなくしてしまう、自分の言葉だと思っていたものも実は自分の言葉じゃなかった、ていうことに気付くことは、恐ろしいことだろう。そしてそんな役を演じることもまた。
盛はまた、美しい人間が老いること、老いを晒すことにも多大な恐怖を感じている人。だから突然自分で引退する。でも、それでも役者への想いは消えていないから、カムバックを促されることを信じている、というかそうでないということもまた恐怖。恐怖だらけだ、この人。
水尾との恋愛(劇)は、そんな中で、演技の為に演じていただけだったのに、途中から自分の気持ちが演技ではなく本当だと気付いてしまった。気付く過程で、恐らく言葉への恐怖も、自分というキャラクターのあり方も、全部、個人としての自分と役者としての自分の境目が見えなくなって、というか個人がわからなくなってしまったんだろう。
そういう意味では、物静かで何も言わない盛というのが実は一番「個人」の盛だったんじゃないだろうか。
盛がこだわる「孔雀の剥製」は別に本当に孔雀の剥製なんではなくて、盛が守りたい、見つけたい、何か、盛が自分で信じている何かは、周りからはそうは見えない何かだ、ということなんでしょうね。そのモチーフとして、「孔雀の剥製」。これを一緒に信じるべきか、それは違うと否定してしまうか、どちらが正しいのか。
でも、孔雀の剥製を否定され、感情を爆発させて水尾を殺してしまい、その後恐らく我に返った盛がいた、てことは、正気に返るには一度その幻想を破らなければならなかったことは確か。でも、幻想を破るということは一度全てをぶち壊すことになる・・・リスクは付き物?それにしてもあれがぎんだったとしたらどうだったんだろう?

秋山菜津子(清村ぎん)
物語の語り部でもあるぎん。盛の突然の引退宣言から、盛が逃げ込んだ実家まで追いかけ、盛がいつか正気に戻ると信じて尽くすぎん。そのためには盛の心に引っかかるであろう水尾に偽の手紙すら送る。彼女は、水尾とのことが盛にとってキーになっているということすら、わかっていたんだ。自分で仕組んでおきながら、その結末に毅然と立ち向かう彼女の強さが清々しくもある。
それでも、あれほど盛のために何でもしてきたぎんですら、盛の孔雀の剥製を信じることも否定することも出来なかった。あの時点でぎんの盛に対する気持ちも破綻してしまったんだろう。というか、ぎんはぎんで、盛という存在があって自分を認識していたのかもしれない。盛の妻であるぎん、盛に尽くすぎん、盛のために存在するぎん・・・あぁ、この人も自分自身がわからなくなっていたのかもしれない。

常盤貴子(名和水尾)
ぎんの偽の手紙に騙され、起爆剤のような役割でやってきた水尾。今は夫がいるが、盛のことは忘れられなかった。でもこの人、なんで初めから怒ってるんでしょう?捨てられたのにいきなり手紙がきたことに怒っていた、のかなあ?ぎんの策略を知ってから怒るならわかるんですけどね、策略を知ったのはぎんの話を聞いてからだからおかしいなあ、と。
最後は、盛とぎんに振り回され、盛に真実に気付いてもらうために、敢えて盛の孔雀の剥製を否定した。この人は自分を見失ってはいない人ですが、盛のことになると理性が働かなくなる、のかな。

段田安則(名和連)
いつも何か食べてる(笑)じゃなく、この人はこの人で水尾のために必死。で、盛のことも、俳優としてはそれなりに評価していたんじゃないかと思う。それでも、連は水尾が傷つかない為に連れ戻しにきたんだろう。女性として、妻として、そして女優として水尾を守る事が使命だと思って。だから最後は当たり前といえば当たり前。そこであの食事の為のナイフが役に立つわけですね・・・妙な伏線があったんだ。
相変わらず段田さんの声は張りがあってよく通る美声です♪

高橋洋(清村重夫)
盛の弟で、盛が実家を出て俳優になったため、本人は体育教師になりたかったらしいが、実家の映画館を継いだ。しかし映画館も流行らず、売却してスーパーにしてしまおうとしているところへ、音信普通だった兄が舞い戻ってくる。
兄さん兄さんと言ってる割に、兄へのわだかまりがある。だけどそんな兄はどこかおかしくて、自分の気持ちをぶつけることもできない。しかも、実家を売却しようとしていることが兄にばれて何か言われないかと気にして・・・という複雑な人なんですが、妙に明るい(笑)元々がそういうキャラクターなんでしょうが、重い舞台にちょっと明るい空気を入れてくれる役柄。兄との取っ組み合いの喧嘩のシーンは、あれはきっとその日その日の二人のその場でのやり取りなんじゃないか、と思います。洋さんと堤さんの、役者同士の戦いでもあるのかな、と。
映画館の施設を使ってひたすら筋トレしてるのが笑えました~。

結局長くなってますが。
あと、冒頭とラストの蜷川さんらしすぎる演出が印象的、ではありますが、ちょっとそろそろ違う表現も見たいなとか思います。しかし学生闘争の色とか、リストラクションを強く打ち出す表現とか、どうもその時代を知らない人間としては、いまいち共感しずらい部分ではあります・・・受け取る側の不勉強でもありますけどね。

今後も精力的な蜷川さんの舞台演出ですが、諸般の事情からチケットを押さえていないものがいくつも。きっと衛星かWOWOWで放送があるだろう、的な意識もありますが、やっぱりさい芸2本は押さえておくべきだったかも?と後悔してます。放送があることを切望・・・。

by yopiko0412 | 2006-12-16 14:37 | 演劇  

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