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福山雅治という大河ドラマ

一連のプロモーション活動で楽しんだけど、ちょっとまたむくむく考えちゃった。
完全なる自分の感じたことをただ記録するだけの記事。(またの名をチラ裏。)



リリーさんのぼくらの時代での言葉
「幸せになりたいと思った人は、どこかでモテることを諦めないと幸せになれない。だけど、モテることを諦めた人の音楽はつまらなくなる。その時点で、そういう生業の人が幸せになるのは不可能になってしまう。」
大体こんな趣旨のことを語ってて。これってまんま福山氏。リリーさんから福山氏へのコメントでも、リリーさんは「幸せになってください」とコメントしてたけど。
福山氏本人も、自分で良く発言してるものね、この辺は。でもなんか、「両方取る」はできないんだな、と思った。「幸せ」の種類にもよるけれど。

日経エンタのインタビューラスト
今の気分は?と聞かれて、「福山雅治という大河ドラマを生きているみたい」と答えた福山氏。
このインタビューでも、福山雅治本人が福山雅治というプロジェクトを客観的に、俯瞰で捉えていて、プロデューサーの一人でもあることに言及している。何年も前から、突っ込んだインタビューや本人の言葉からも、そういう観念は端々から感じられていて、2005年の情熱大陸の時もそうだった。(この時も今回と同じような感想を抱いて、記事にしてる。記事はこちら
今回また、龍馬伝という大きなプロジェクトの歯車の一つとしてその役割を担っている彼のスタンスはまた、徹底している。
以前にも思ったけれど、この人、「個人としての福山雅治」の部分が、本当に少なくて、大部分が「福山雅治プロジェクトの福山雅治」になってしまっている気がしてならない。もちろんそれは彼自身が選んだことだし、まだ個人として残して、隠している部分もあるとは思うけれど、それでもやはり割合としては「個人」であることは難しい、というか、境界が判別しにくくなっているのかな、と思ったり。プライベートで旅行に行きました、という話をするにしても、結局そこにはマネージャーがいてラジオのスタッフがいて、その話自体もラジオやファンクラブやライブでのネタにしてしまう。それってじゃあプライベートなのか?というグレーゾーン。
実家に帰れば「個人」かといえば、もはや実家は観光地化してしまっていて、帰れない場所になっているというし・・・。
日経エンタの記事では福山氏本人が、いつも言ってるように、「いつか終わりが来る」みたいな部分にも言及してる。「求められている限り、オファーがある限り、動き続ける」姿勢を貫き通す彼の、活動に、本当に助けられ、勇気づけられ、感動し、楽しみ、興奮している自分は、何かそこから生み出したり、返したりできてるのかな、と考えてみたり。
ファンだけど、ただ「きゃー♪」て言ってるだけではいられない、考えずにはいられない、何か気付かせられるのです、福山雅治という「人」に気付くと。
日経エンタの記事を書いたライターさんも、ブログで「突発的に応援したくなった」と(笑)
ブログはこちら
まさに、「ほっておけない龍馬」のような福山氏、なのかもしれない。

福山雅治という大河ドラマ、ずっと追い続け、そして何かを見つけたいです。
でも、ちゃんと休んでください・・・ほんとに。

by yopiko0412 | 2010-01-06 00:27 | 雑誌  

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