蜷川幸雄演出『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』

2005/2/8-シアターコクーン19:00開演

コクーンと蜷川さんのタッグ4作の1作目、観てきました。
相変わらず予習なしで行ってるので、話の筋をつかむのに若干の時間を要する・・・この観方だと、一度観て理解してからもう一度観ないとなあ、と思ってしまうのですが、さすがに全部それはできません。

お話は、とても重い。テーマは何だ?狂気と正気、「生きる」ということ、「死ぬ」ということ、「将」たる者の在り方、特定の人間(人格?)への固執、とか・・・難しい。
まとまらないので、思ったことをつらつらと。





全編通して、印象に残ったのは、段田さん演じる三郎だったりします。難解なお芝居の、一本通った筋といいますか。三郎は、どんな状況であっても「将門」は堤さん演じる「狂っちゃった本物の将門」であるという前提で、いつでも彼の忠臣だった。弟である五郎を含む、数々の「影」たちの誰も、「将門として生きる」ためにいるのではなく、「将門を生かすために将門を名乗り、死ぬ」存在だとして譲らない。最後は狂った将門を生かすために、自分の命すら投げ打つ。彼にとっては、あのまま将門は生きるんだ、て念じながらの死だったんではないかと。

その三郎とは違い、将門の妻である桔梗の前や、三郎の弟であり将門の影でもある五郎は、狂った将門に、将門を見出すことができずに、苦しみ、彼らもまたある意味では狂っていく。
桔梗の前は、自分が愛した、愛された将門の豹変を受け入れられず、そのことで自分自身をも見失ったのかな。「影」である五郎を「将門」に仕立て上げようとするが、結局彼女の求める「将門」にはなりきらない五郎。最後は自分が生き延びるために、五郎を切り捨て、次々と影たちを将門の身代わりにし、保身に走る。でも結局は自分が愛した将門から逃れられず、狂ってしまった将門を抹殺しようとした瞬間・・・将門が一瞬だけ正気に戻る。そこでもう桔梗の前の心は完全に壊れてしまった、そして結局彼女は死を選ぶしかなかった。

五郎は、前半の物語をすごい勢いで引っ張ってた気がする。なりたくてもなれない「将門」に彼は必死でなろうとした、彼は、将門として「生きよう」とした。でもそれは無理だった。それは結局五郎自身の弱さ、将門になりきれなさ、があったから。
でもそれって普通だと思う。人間が誰かになりきる、完全に自分を消し去る、なんてできないんだから。だけど、桔梗の前から仕向けられ、五郎は自分にそれを課し、壊れていった。
(まだ途中です。その内追記します・・・。)
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by yopiko0412 | 2005-02-14 17:12 | 演劇  

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