『ダブリンの鐘つきカビ人間』

『ダブリンの鐘つきカビ人間』

2005/11/11-19:00開演 ル・テアトル銀座

もう東京千秋楽も終わってしまったのですが・・・。
あらすじは公式サイトへ・・・。(思いっきり割愛)

「現代(もしくは現実)の人間が物語の中に入りこんでの追体験」という設定とアイリッシュ音楽の使い方に『姫が愛したダニ小僧』との既視感は感じたものの、ストーリーがものすごくよくできてて、後から思い返すと色々考えてしまいます。




冒頭、聡と真奈美と謎の人間のシーンがまったく意味不明でどうしようかと思った(笑)しかしあの童謡はなんという伏線なんだ・・・「みーたぞみーたーぞー かみにんげんがみーつけたー まちのきょうかい みーつけたー」(歌詞はうろ覚え・・・)後から考えると「おー!そうだったのか!!」と思わせられる。ずるい。舞台のタイトルからして「かみにんげん」は「かびにんげん」だろうとは思ったけれど。そしてしばらく謎の人間(=市長)がなるしーさんだと気付かなかった自分がちょっと悔しい。声で判別しないとダメな位置に座ってたので仕方ないかなあ。

カビ人間とおさえのストーリーが軸。カビ人間はおさえの病のことを知らずにいくのかと思ったら、あっさり判明して、それでも健気なカビ人間、おさえの言葉をきちんと理解した上で、自分の道を進むカビ人間。カビ人間はおさえの「殺して!」を嬉々として聞いていた、ように見えてつらい。
ラスト、おさえが願ったことが、「全ての人が幸せであるように」・・・幸せなら、憎しみが起きない、憎しみがなければ、カビ人間も殺されない、ではなぜ幸せでないのか、それは病だから、だから病が治ればいい。
・・・本心を言葉にできないおさえの心の叫びがこんなにも大きかったのか、と思う。
単に「カビ人間を救いたい」だけでは、一時の救済にしかならない、また同じことが起こることは必然だから。それならば全ての根源を正す望みを望まなければならない、だけど、それは自分とカビ人間の犠牲の上に成り立つ。それでも、そうしなければならなかった。
そんなおさえを見つめる戦士の眼差しもものすごくつらい。戦士は、自分がいない間のことを知らない。それでも、おさえの言動を見ておさえの心に気付いていたんだとわかる。そして全てが終わった後、そっとおさえを抱き上げる戦士の心の強さ(いや、優しさかも)も余韻に残る。

そもそも、この登場人物たちの「奇病」は人間の裏の部分を指しているようにも思える。
異常に眼球が発達し、超人的な視力を手に入れた男は、覗き魔になる。「仕方ないじゃないか、見えちゃうんだから」
背中に羽の生えた男は、その姿から「天使」とあがめられ、彼の言葉は全て人々に受け入れられる。そして彼はウソをつくようになる。みんなが信じてくれて嬉しい(面白い)から・・・。

カビ人間もそう。病にかかる前は、見た目は麗しく、心は邪悪そのものだった。人々から嫌われた彼は、人々の恨みの呪いにかかったように「見た目と心が入れ替わる」病にかかる。その心の醜さゆえに、いくら美しい心を持っていても人々から忌み嫌われるカビ人間。逆に、見た目の醜さに気を取られ、その心の美しさに気付くことのできない街の人々の存在もある。その中でおさえとおさえの父(じじい)だけは「心の美しさ」に気づいていた。
じじいは眼が見えない。これは病ではなく、病にかかる前のカビ人間の仕業らしい。しかしじじいがカビ人間に言った言葉は「お前ではない」。カビ人間は自分が病にかかる前のことを覚えてるのかどうかわからなかったけど、気付いてた、けどじじいにとっては病にかかる前のカビ人間と、美しい心になったカビ人間は別人だったんだろう。眼が見えない分、心の眼でそれを感じてたとすれば、先ほどの「見た目に気を取られて心の美しさに気付くことのできない人々」との対比になっている。

その他の病についてはよくわからないものもあったけど(笑)止まり木とか電池とか、ネタ用ですか(爆)
侍従長のあれは、病じゃなくて、打ち所が悪かっただけ、ですよね??(笑)まあ、あれはあれで侍従長が密かに隠し持っていた人格の表れ、とも取れるけれど。

ラスト、現実世界に戻った聡と真奈美は、おさえの願いにより「不死」になってしまった市長が自分の願いのために振るうホーグマホーンの餌食になる。「死にたくない」と思っていた市長が、「不死」を手に入れたことで「死にたい」と願うようになった、そのために自分の周りに犠牲者を積み重ねていく極めて自己中心的な市長の醸し出す恐ろしさが人間の一番の恐ろしさに思える終わり方。

ストーリーとは別に、大王らしくネタの宝庫。でもせっかくあれだけしっかりしたストーリーがあるのにネタが浮いて見えるところもあったのがもったいないかなあ。でも充分笑わせてもらったんだけど(笑)

やっぱり市長と神父の黄金のバッテリー(こら!)コンビがすごかった!!
群馬水産高校の校歌を歌う場面が2度、2度目は神父に裏切られてた市長がツボ。
変な乗り物の市長とか、変な人形の神父とか、ずるいってば。

それと、かっこよくもはっちゃけてた戦士の橋本さとしさん。
戦士としてはかっこよく、でも笑いのツボはしっかり押さえてたのでバランス良く楽しかった♪
なんといっても「馬」でしょう。あの馬はどうやら大王の舞台ではお約束のようだけど、馬との行進がぴったりでございました(笑)

聡と真奈美(プラス戦士)の森の中のシーンはひたすらネタでしたね。
聡のざりがに・・・聡のエルビス・・・を見るにつけ、初演の長塚さん聡が見てみたくなるんですが!
真奈美(旅人)の元気のよさはよかったんじゃないかと。ロケット出るんだねー。
ここに戦士が加わって、大王扮する司会者:森のコーナーはあれはいったいどう解釈したら??なーんて、解釈不要のネタコーナーなのでそのまま笑っておきました~。

侍従長は前半唯一のまともな人かと思っていたら、そうきたかー。
そして中山祐一朗さんの本領発揮だったわけですね。キレた演技が客席にものすごいスピードで突き刺さってきました。イタイ・・・。

そうそう、小柄だけど遠めにもかわいらしく、そして(器の)小さい人間が天使とあがめられて小ずるいウソつきになって、神父と市長にそそのかされてデマを流す、そんな天使役は誰だったのかしらと思ったらStudio Lifeの方なんですね。観た事ないんだけど、看板俳優で女形ですか・・・納得。ちょっと気にしてみたい役者さんになりました。

カーテンコール、数回行った後は、山内さんがギターを持って数人で登場、なんかアイリッシュっぽい歌を歌ってましたね。歌詞がわからないらしく、みんな手に書いたアンチョコ見てたのが微笑ましい。その上土屋アンナさんはそれ見ても歌えず、途中からぐだぐだの鼻歌になっちゃって、もう一回やらして!みたいな仕草してた。なんか仲良さそうな雰囲気でした~。

ちなみに、おさえの中越典子さん、初舞台だってことだったけど、いきなり難しい役。なんたって感情と台詞が真逆になってる役!恐がりながら「来て」「触って」と言って実際近づかれたり触られたりしたら拒否反応、その反対に大好きな相手に笑顔で「大嫌い」「もう会わない」これってやっぱり難しいだろうなあ。

ところで、冒頭、市長が二人に語りだすとき、教会の鐘の音が鳴ってて、「誰がなんのために鳴らしているのか」と疑問を投げかけるシーンがあったけど、結局あの教会の鐘の音は誰が鳴らしてたのかなあ?
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by yopiko0412 | 2005-11-23 21:44 | 演劇  

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