『ベッジ・パードン』

2011/6/12-13:00開演 世田谷パブリックシアター

三谷さん生誕年舞台、ことごとくチケット取れずでしたが、こちらはチケットゲット!当日券や立ち見も盛況な客席でした。びっしり。

夏目漱石が、夏目金之助としてロンドンに留学していた間に出会った小間使いのなまりで「ベッジ・パードン」に聞こえるからつけたあだ名が「ベッジ」。金之助とベッジ、そして彼らを取り巻くロンドンの人々の物語。




まず目をひいたのは、舞台美術。幕は当時のロンドンの地図で、金之助の下宿の場所に時折赤いランプが灯って、場所を占める。
その幕が開くと、すぐにレンガ造りのアパートの2フロア、窓が上下に3つづつ。さらにその窓の下段部分が上がると、その中の部屋のセット。
この造りこまれた美術がすばらしくて、質感や、当時を知らない私でも、きっとかつてのヨーロッパの家の雰囲気なのだろう、と思わせられる室内、暖炉もあり、作り付けの本棚や机が、いい雰囲気。
舞台袖には階下と上階に通じる階段があり、ここから人々が出入りしていく。このつくりも芝居にアクセントになっていた。
この美術、すごいなあ、と思っていたら、「借りぐらしのアリエッティ」の美術を担当されていた種田陽平さんだった!!映画は観てないけれど、あの美術の素晴らしさは見ていたので、至極納得。

金之助がこの下宿に移って来た日から始まる物語は、5人の役者によるミニマムな芝居だけど、その中で一人、浅野和之さんが一人で11役というものすごいことに!!もちろん髪型も、衣装も、小道具も、性別だって言葉遣いだって仕草だって全部が全部違う人物(1役は動物(笑))たちを、早替わりも含めて自在に演じる浅野さん!
しかも、その一人で何人もの役をやる、という演劇的手法が、ただそれだけで終わらず、金之助にとっては「イギリス人がみんな同じ顔に見える」という、彼の疲弊した心理状態を示唆する要素に使われていて、観客としてはもちろん大いに笑いどころではあったけど、その逆転の発想というか、三谷さんのしてやったり顔が思い浮かぶ設定。

金之助は、英語教師をしていた自分なのに、英語での会話に不安を覚え、また、ロンドンでの「日本人」に対する関心(としておこう)の目にさらされ、余計にコミュニケーションが苦手になっていく。その要素の一つは、同じ下宿に住まう惣太郎が、完璧な英会話をし、軽妙にトークをしていることもある。
ここが、実は肝になっていて、惣太郎は「英語の上達のため」といって日本語での会話を許さない。だけど、実は彼自身は日本語での会話では故郷の青森の訛りが抜けず、それをコンプレックスに思っていた。彼は彼で、英語でなら会話ができる、コンプレックスを持たないでいられる、というところに逃げていた。
この二人の関係が、後半に大きな変化を見せるのが、言葉のコンプレックスではない、別のところにあった、ないものねだりの嫉妬。惣太郎は英語はできるが、「Sense of humor」に欠けている、イギリス人と対等に渡り合うには必要不可欠なものであり、それを金之助が持っている、と主張する。
困惑する金之助に、初対面での会話を思い出させる惣太郎。
「イギリスで2年もいたら、日本に帰ったら英語教師にだってなれる」という惣太郎が、日本では何をやっていたのか、と金之助に問うと、「英語教師です」と答えた金之助。
もちろん客席は大爆笑したし、惣太郎はオーバーリアクションで「しまったー!」的な反応でのた打ち回っていた。
が。
それこそが「Sense of humor」であると。
「教師」「英語の先生」「公務員」など数ある選択肢の中から「英語教師です」を選んだのが、その表れだと。
それを聞いてから、冒頭の初対面での会話を思い返すと、惣太郎は「しまったー!」と思ってのた打ち回っていたのではなく、「ここでこの返しをするなんて!Sense of humorだ!」という嫉妬からのた打ち回っていたのだ、と思えた。いや、きっとそういうことなのだろう。
だからこそ、惣太郎は金之助の成功を阻むかのような行動をし、金之助にダメージを与え続け、最後の一撃を、ベッジの前で、彼の妻の手紙と、彼に子供がいることを、知らしめたのだ。

ベッジはベッジで、コックニー訛りを指摘され続け、惣太郎からも笑われ、クレイグ夫人からも叱られ続け。イギリス社会が持つ、階級社会という一見整然として見える社会が持つ歪みが、彼女や弟グリムズビーなのかもしれない。
前半、ベッジとなら会話が楽だ、と何の気なしに言った金之助に放った言葉が強烈だった。
「それは私を下に見ているからだ、下に見ているから、緊張せずに楽に話せるんだ。」
金之助は金之助で、イギリス社会の歪みをそのまま受け止めて消化していたのかもしれない。
それすらもわかった上で、ベッジは金之助を糾弾するわけでもなく、「そういうものだ」という観念の中で、それでも金之助に好意を寄せる。
グリムズビーもまた、世の中の仕組みや不条理を理解した上で、生まれた階級に沿った生活を自ら選んでいる。だけど、やはり人間観察に長けていて、惣太郎の歪んだ嫉妬による行動を即座に見抜いていた。そして、「面白い話」一つで、惣太郎と金之助を判断した。ここも、後から「Sense of humor」の要素で見てみると、まさに惣太郎の嫉妬を助長させるものだったのかもしれないし、体現していた。
こういう構成だと、一度観たあと、もう一度観るとまったく違った意図が見えてくるわけで、巧み。

ハロルド・クレイグとその夫人の関係の描き方で、コミュニケーションの意思疎通の難しさを述べるところでは、言葉の矛盾を利用していた。クレイグ夫人は、自分では人に対して厳しいのは愛情があるからで、それは言わなくても伝わるはず、といいながら、ハロルドが何かに思いつめ、愛犬Mr.ジャックの死を契機に彼女との決別を決めていたことに、「言いたいことがあるなら言わないとわからない」と実に自己矛盾に満ちた発言をする。それを金之助はきっぱりと指摘し、「大切なことは、言わなければわからないのではないか」と訴える。
ここは、ちょうど三谷さんご自身が、近頃奥様との別れを経験されていることをついつい思い出してしまった。三谷さんのコラムや、連名のコメントを思うと、まさにクレイグ夫妻は彼ら自身の投影なのではないか、と。もちろんまったく同じではないとしても。
そうして、「大切なことは言わなければ」と言っている金之助自身も、実はベッジに大きな隠し事をしたままでいたのも、彼自身の自己矛盾。

惣太郎の策略の中で、言葉のコンプレックスと、人種差別と、そして妻からも音信不通であることから身近にいた気兼ねのないベッジに心を動かされたのは当然であり、それらが全て氷解し、妻からの手紙を読みながら涙するのも、金之助が救いを求めていたからなのだけど、それは酷くベッジに対して残酷であった・・・。無意識の矛盾と、残酷。

1幕終わりに、「日本人に興味がある」という理由で金之助に会いに来た牧師と上流階級の夫人による、ただ見て眺めて滑稽なものを見るように笑うだけ、という屈辱的な差別を受けた金之助の怒りと失望、絶望。
それを慰めようと、「昨日見た夢の話」をするベッジに「夢の話なんかするな!」と強く言う金之助。ベッジが「何を言っても笑われ、何をやっても叱られるけど、夢の話なら、誰からも叱られない、それしか、自分に話す言葉はない、それをやめろなんて言わないで」と訴える様に、立場は違えども、同じように差別と孤独に苦しむ自分の姿を重ねた「君は、僕だ」は嘘じゃなかったし、お互いに救われていたのだとも思える。
その、互いの依存が壊れたのが、最後の場面か。

グリムズビーの件は、途中から異物のように投入され、どちらかというとどたばたがやがややかましく引っかき回しているだけ、に思えたのがもったいなかったけど、最後にベッジに会いに来たときに、その意味が明かされたから、意味があったのだ、と思える。
グリムズビーとベッジ姉弟の絆は確固たるものだったし、独特の道徳観によって容認されてもいたけれど、銀行強盗の場面では、最初は弟の言うことに丸め込まれたベッジも、金之助が「自分のために刑事に知らせてくれ」というと、受け入れた。弟との絆に、その一瞬は、金之助への愛情が勝った。
最後の場面でも、当初は金之助の存在がグリムズビーの提案を承服できない彼女だったけど、金之助との絆が壊れたとき、彼女に残されたのは弟との絆であり、彼のために自らを犠牲にすることを選んだ。

そうしてベッジを失い、惣太郎に裏切られ、徐々に精神を病んでいった金之助が、ベッジの夢を見た。ベッジは、夢の中でも夢を語っていた。Mr.ジャックの魂とも会話し、金之助は、自分が持つ特性を理解し、その特性を生かした職業、「小説を書く」ことに目覚める。
最後には、みんなが見守る中で、将来彼の肖像写真となる有名なポーズをとって、幕が下りる。

カーテンコールでは、これまたセットを上手く利用して、窓から彼らが顔を出してのかわいらしいご挨拶。浅野さんはカーテンコールでも早替わりで楽しませてくれた!

役者さんについて、浅野さん以外も少し。
万斎さんは、英語が苦手な設定で日本語でその様を表現しているから硬質なしゃべり方が逆に合っていたよう。ちょっと神経質な印象の金之助にもぴったり。
深津さんはコックニー訛りとがなり声、金之助に恋してからのかわいらしさ、など遺憾なく変幻自在。最後の儚げな雰囲気までベッジの魅力が全開だった。
浦井くんは髪とひげで顔の判別不可能(笑)だけど、ちょいちょい歌ってみたりして少し美声をサービス♪こちらも荒くれ下町チンピラで、甘えん坊なところがギャップになっていた。
大泉洋ちゃんはすっかり「ああ、洋ちゃんだ」と思える役柄だったけど、そこに大きな裏があって、してやられた感。イギリス紳士風の出で立ちも背があるからお似合いだったし、色んなひげも笑えたわ♪青森訛りももっと聞きたかった!日本語で話さなきゃいけなくなったところのしょげた感じが大爆笑!

今回、パンフレットは1000円。内容も充実していて、読み応え充分。そして、パンフレットの収益は全て義援金に、と張り紙がしてあったかと思ったら、パンフレットの販売員は、支払った1000円札をそのまま横の義援金ボックスに投入していた。
わかりやすすぎる気もするが、視覚的に瞬時に訴えるやり方だと思った。
[PR]

by yopiko0412 | 2011-06-13 22:30 | 演劇  

<< 演劇集団キャラメルボックス『銀... 『プリンセス・トヨトミ』(映画) >>