野田MAP『南へ』

2011/3/24-19:00開演 東京芸術劇場

3月11日の地震後、元々チケットを取ってあったこの舞台が、私の「普段の生活」再開に。
とはいえ、地震前から、観劇した方から「重い」という噂は聞いていたわけで、野田さんの繰り出す世界の重さは重々承知していたけれど、ましてこの舞台が火山地帯が舞台で劇中にも地震が登場する、ということで、観劇前には相当悩んだのも事実。地震後の様々な事柄により、自分自身の心が疲労を感じていることもわかっていたので。
とはいえ、上演再開に当たっての野田さんのメッセージを読み、地震前、後に限らず観劇された方の感想も(いつもは絶対にやりませんが)先に少し目に入れて、やはり、劇場へ向かうことに。




内容は私の言葉では簡単には表現できないし、散りばめられた言葉とモチーフと動きの中に潜んだエッセンスから「何か」をつかみかけると、またそれが逃げていってしまうような言葉を投げつけられたりで、なかなか消化しきれないのもいつものこと。
いつも通り、野田さんが体現する「群集心理」の恐ろしさが、まさに今現実社会でも浮き彫りになっていることを思いやり、より苦しい気分になったのは、肌に刺すような体感があるから、だろう。(ちょうど、水道水問題で水の買占め狂乱の真っ只中での観劇だったので・・・。)キャラクターのときも思ったが、自分自身の記憶にあり、また身近であった事実・事件であるため、同じ苦しさでも度合いが違うのだと思う。記憶、肌感覚、という、想像力に「現実感」を上乗せした力が発揮されるから。

そして、マスコミの扇動への痛烈な批判。これも野田さんがいつも入れてくるモチーフだけれど、こちらもまた現実世界のTV・新聞・雑誌・ネットから溢れる、処理しきれないほどの情報と扇動にくらくらしている私にはきついものだった。

「嘘」の持つ意味。
オオカミ少年が放つ「不吉な嘘」は彼が「オオカミ少年」であればあるほど、人々にとっては平和をもたらす。つまり、不吉な事柄が「嘘」であるうちは、それは現実ではないから。
しかし、その「嘘」が「嘘」でなくなったとき、それは悲劇になる。
オオカミ少年の存在意義、嘘が嘘である優しさ、無邪気なあっけらかんとした妻夫木くんの「ノリヘイ」がどんどん哀しい存在になってきた。
そして、アマネ。正直者であったアマネは、ノリヘイの嘘をそれと知りながら容認する、それはやっぱりノリヘイの嘘が嘘であることが平和であることを認識していたから、かな。その彼女は、現代の世では嘘つきで登場している。けれど、それは彼女が嘘つきだからではなく、記憶がないから。「きたからきた」記憶のない彼女は人の記憶を習うことでこの世界にあり続けようとする。自らの存在の不確かさに気付いた南ノリヘイに「日本人」という名前を与えた彼女は「北から来た」両親を失った、のか。
このあたりの政治的国際的民俗学的アイデンティティのエッセンスも、野田さんのメッセージ。ちょっとわかりにくいのは、敢えて直接的な表現をしないため?だいぶ分かるようにはなってるけど・・・。

過去のノリヘイは、自分の嘘が嘘でなくなったとき、「会ったこともない人たち」のために、急を知らせに南へ向かう。その人たちが本当にいると信じて。でも、その人たちも実は「嘘」だったら?彼の真実はどこへ?
行幸の先駆けと称する人物たち、行幸がなれば「お墨付き」が得られる、お墨付きがあれば人が集まり、生活が潤う、という彼らの言葉に縋る村人。
では、その行幸が嘘なら?お墨付きが嘘なら?

人が何かを信じることと、それが本当であることは、まったく違う。信じることは、信じるという行為をする人間の中だけの真実。それが本当であるということは信じたことが現実にそこにあるという真実。そこに大きな乖離がある。
その乖離に気付いたとき、人は果たして「信じる」ことを続けていけるのか?

役者さんは様々なジャンルから、個性ある人々がたくさん。
妻夫木くんはKILLに続いての野田さん舞台、声も問題なく、肝が据わった様子。私は、現代の南よりも、過去のノリヘイの方があっていたな、と思った。現代の南は今までのステレオタイプな妻夫木くんのイメージだけど、今回は逆に過去のノリヘイのイメージが良かった。
蒼井優ちゃんは舞台では私は初見。TVで見るのとは違う発声法で、ものすごい台詞量だったが、ところどころ聞こえなかったのはもったいない。ちょっとかすれてるのは発声の違いのせいか、枯れてたのか?ちょっと頑張ってる感とか段取り感が見えてしまっていた気もするけど、あの舞台をこなせるのはすごい、ほんとに。
高田聖子さん、渡辺いっけいさん、藤木孝さんあたりはもう固い。ていうか藤木さん、妃殿下がインパクトありすぎ(笑)高田聖子さんはあれだ、また「巻物」持ってるなーとか思っちゃいました(爆)すぐあげちゃってたけど。いっけいさんは自在。
そして野田さん芝居でしか見ないけど、チョウソンハさんはまたかき乱す役。あの独特の高い声でぎゃんぎゃんまくしたてるのはすごいなー。途中扇動してるところとか椅子や足音やBGMでだいぶかき消されてたけど、場面的にそういう効果でいいのだろう、と思う。届かない叫びっていうのかな。だけど、わかる、雰囲気で、何が起こっているのか。だからそういう効果。

舞台装置も毎回色々凝ってて、今回はパイプ椅子がメイン。役者が舞台の袖に座ってて、そこもまた舞台になったりする柔軟な使い方もおもしろい。パイプ椅子の裏に映像投影とかなんかすごい!スクリーン要らず!!(小さいけど、見にくいけど)
火山活動に伴う地震で揺れる演出はやっぱりちょっとずきんときたし、まだ自分自身の地震酔いが治まっていなくて観劇中も何度も揺れているような感覚に襲われたりもしたけれど・・・・・。

それでも、やはり、最後まで食い入るように見つめていた。
野田さんのメッセージは、いつだって難しい宿題だけれど、今回はまさに今、現実世界を見つめる宿題だった。
観に行って、良かったです。
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by yopiko0412 | 2011-03-28 21:37 | 演劇  

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