2011.3.11のこと

いまさら感もありますが、2011年3月11日金曜日のことを記録しておきます。




私は遅いランチのあとの歯磨きのために化粧室にいた時、「あれ、揺れてる・・・」と感じた。
そう思ったのもつかの間、揺れはどんどん大きくなる。
化粧室や廊下の壁がみしみしと音を立てていて、壁に摑まるが怖い!
化粧室前の廊下に出ても誰もいないため、恐怖が募る。
そこへ、オフィスから若手男性社員が一人、すごい勢いで飛び出して走って非常階段方向へ!
私には気付く様子もなく、他の社員がいる気配もなく、私には地震の時間感覚も分からなかったので、彼がしんがりでみんな避難したのかと焦った。
「誰かいますか!」と叫んだけれど返答もなく、胸がぎゅっとつかまれたような怖さ。
防火扉もばたばたと動く廊下を、一度は非常階段に向かうが、非常階段には人気がないため、オフィスに戻ると、中に人が!
慌ててカードキーでドアを開けて飛び込むと、誰かが「しゃがんだ方がいい!」と叫ぶ。
とっさにしゃがんだ場所は宅急便などの物流の収集をしている場所だったため、扉のない棚にものが入っていてあぶない、慌てて何もない壁際に移動してしゃがみこむと、机の下に潜り込んでいる同僚たちの姿が見えて、やっとほっとする。

オフィスは高層ビルの17F。
免震構造だ、とは聞いていたが、想像を絶する揺れは気分が悪くなるし、いくら免震のための揺れだとしてもこのまま倒壊するのでは、という恐怖ばかり。
しばらくすると落ち着いたが、ビルは残りの揺れが長時間続く。
PCやディスプイレイは倒れ、色々なものが散乱したオフィス。呆然としながらすぐにPCで情報収集。震源は東北。東京は震度5、との情報。震度5であの揺れ?!と驚く。しばらく震えが止まらない。
もはや仕事をする気分にもならず、しかしビルの防災放送は「エレベーターが停止している」ことと「館内の安全確認をしている」ことしか言わず、避難指示は出ない。
そうこうする内に、15時20分頃の2度目の大きな揺れが来た。
すぐさま机の下に潜り込む。
その最中に男性社員が一人、本社オフィスに電話して「会社としての指示はないのか」確認していたが、オウム返しした言葉は「待機!」オフィス内から「ええ!」という声。
結局、同じビル内2Fにもう1箇所あるオフィスへ、非常階段で移動することに決まり、荷物を準備。
椅子に備え付けの救急セットを持ち、階段をひたすら下りる。階段部分も、壁や天井から剥がれ落ちたくずがぽろぽろと落ちていた。それも怖い。
2Fオフィスでとにかく落ち着き、あとは会社からの指示に従い、基本的に待機。
少し甘いものを食べたり、お茶を飲んだりしながら、余震におびえ、時折誰かが携帯のワンセグでTVを見ているのを眺める。自分自身は基本的に Twitterでの情報収集。家族へはメールをしたが返事がない。Twitterでフォローしている家族は、すぐに安否がわかった。時折くる余震の前には緊急地震速報も入った。あの音は怖いが心の準備ができる。メールはそのうち、センターへ受信しにいくと受け取れることがわかったので、家族の安否はわかった。

当然都内の交通網は麻痺。17時を過ぎたが、帰宅許可も出ず、むしろ「東京都から外出禁止の通達が出たので館内待機」とのこと。男性社員が続々とお弁当やパン、飲み物を大量に買ってきてくれた。歩いて帰るにしても、食べて体力をつけておかなくてはいけない。
自宅まで歩けない距離ではなかったが、結局帰宅許可が出たのが19時頃だったため、何時間かかるか考えると、へこたれた。周りの社員は、遠方の人は近場の人の家に泊めてもらう方向になっていた。帰れない人は、オフィスに宿泊。
自分はどうしようか、と考えたが、オフィスの隣駅に友人が住んでいることを突然思い出した。1歳半の子供がいる友人だが、何度も訪れたことがあり、家族もよく知っている。携帯電話は通じないので、固定電話を利用して連絡を取り、泊めてもらうようお願いしたところ、快く受け入れてくれた、ありがとう。
友人宅へ向かう旨、上司に告げ、オフィスを出た。
実際歩いてみれば時間はそれほど掛からず、20分ほどで到着。マンションのエレベーターが止まっていたが、ワンフロア上がるだけだったので問題ない。
やっとたどり着いた友人宅で、一息ついて見たTVの映像に呆然。友人とお互いの地震遭遇のときからの状況を説明し合い、TVの中の状況についても、話す。人と話すことで落ち着くものだな。
反面、1歳半の子は、無邪気に泣いたり笑ったり歩いたり遊んだり。このことに救われる。

夜の間も、警報器から流れる緊急地震速報の度に飛び起きてTVを付け、身を守る。速報、重要だ。
朝、あまり熟睡したとは思えないが起きて、ごはん。
午前中に会社に泊まりこみだった友人のご主人が帰宅し、近隣の駅は人がごった返しているから少しゆっくりしていった方がいい、と言われた。それなら、と友人の買い物に付き合い、近所のスーパーへ。既に納豆やパン、カップめんなどが売り切れ状態に!!もう備蓄品が品薄?!
11時過ぎに、帰宅の途へ。駅員によると長時間待つかもしれない、と言われた電車が思いのほか早く来たので、助かる。少し込んでいるがスムーズに帰宅。途中、パンを買った。
地元スーパーにも寄ったけれど、やはりかなり偏った品薄状態。買い物客も心なしか多いようだった。
午後やっと自宅に到着、自室で多少モノが落ちていたが思っていたほどでもなく、安心。
家族の11日午後からの動きを報告し合い、当面の備えについても話し合い。

とにかく非常用持ち出し袋の中身がやはり古いものだらけで使えなかったらしく、今後は本当にきちんと管理しなければ。
そして、重要だなと思ったのは、携帯のワンセグと緊急地震速報。私の携帯は古くてどちらにも対応していなかったので、早急に機種変更をしなければ。古い携帯でも大事な情報源、充電用のプラグを持っていたことだけは役に立った。
それと、固定電話と公衆電話の威力。携帯は軒並み不通だったが、固定電話や公衆電話はつながりやすかった。メールは通じなくても、携帯を介したネット環境(Twitterやmixi)は通常通り使えたので、こちらも重要。
色々な備えをきちんとしておかなくてはいけない。

その後も、色々なことがあった、今も、現在進行形で。
だけど、ここは被災地ではないし、多少の不便はあれど、生活ができている。様々なことを学びながら、様々なことが「奇跡」だと感じながら、様々なことに感謝しながら、できることを、やれることを、やっていく。

相変わらずたまにしか更新しないブログだけれど、更新する時は通常モードにて。それが、できることの一つ。
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by yopiko0412 | 2011-03-20 21:16 | 雑記  

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