龍馬伝第四十八回「龍の魂」

龍馬伝第四十八話『龍の魂』

1年間、毎週日曜日、楽しみにし続けた大河ドラマが、最終回。

まずは、土佐勤皇党と長次郎との再会シーンが、暗殺後ではないところがよかった。いい意味で冒頭から涙を誘われた。第1部の龍馬伝に、龍馬が「あの坂本龍馬」になる前に立ち戻る、というテーマがはっきりと表示されていた。
とにかく1年間着実に積み上げてきたことの集大成。それも、安易な回想シーンではなく、色々なエピソードを髣髴させるような小ネタをちりばめながら、それでいて最終回のストーリーとして展開していた。




大きな1年間のくくりとして、「龍馬が「あの」龍馬になる」龍馬伝であるところはもちろんだけれど、「弥太郎が、「あの」岩崎弥太郎になる」ところもきちんと描かれていた。
第1話の冒頭、龍馬のことを「大嫌い」と評した、あの同じ言葉を、最終回にもう一度、龍馬の一生を語り終わった最後に繰り返す。ただ、この同じ台詞も、1年かけて紡いできた物語が、違う響きを含ませるものになっていた。もちろん、弥太郎の表情は2回とも、愛憎に溢れていたことは疑いない。
弥太郎の「眩しすぎる太陽の光」発言は、まさにこのドラマで描かれてきた龍馬と弥太郎の表裏一体感の顕れ。太陽と月、光と影。合わせ鏡のように成長してきた二人。弥太郎はああいうけれど、龍馬の存在がなければ、弥太郎のあそこまでの奮起はなかったのではないか。龍馬がいうように、弥太郎には弥太郎がすべき仕事がある。龍馬は終始一貫して、私心なく、世の中がよくなればいい、という思いのために走ってきた。弥太郎は私心もあれど、家族を養うために、見下されないために、金持ちになりたいと走ってきた。決して優劣の話ではない。
亀山社中でも海援隊でも、適材適所に人を配置し、また政争でも、この人を説得すれば、というところを押さえてきた龍馬。だからこそ、弥太郎のことも弥太郎には弥太郎の仕事があり、適した生き方があり、それを受け入れ、そして気付かせた。
新政府綱領を前にして、武市、以蔵、長次郎、高杉にもそれぞれの想いを語りながら杯(風邪引いてるから白湯?)を空ける龍馬。やはり、それぞれに生きていればやって欲しいことを告げるところが、龍馬らしい。

弥太郎の微妙な心情は、龍馬との本音の別れから、見廻組との遭遇、そして暗殺の夜と繋がり、明治の弥太郎へ。
裏話で、亀治郎さんのキャスティングには、弥太郎と似た顔の人間が暗殺犯というスパイス、と聞いていたが、龍馬の居所を聞きに来たシーンでの対峙の画面の迫力がすごかった。配役の妙、です。
龍馬を狙っている相手に向かって、敵の多さを指摘し、あんな奴は殺されてもいい、とまで豪語した弥太郎。けれど、その一方で「あいつは敵を作ることをやってのけたが、何の悪気もないんだ」と。「殺さないでくれ」と懇願する。複雑な愛憎。龍馬に私心がないことは、龍馬を知る人にとっては当たり前だが、龍馬がやったことだけを知る人には憎むべき行動でしかない。
搾り出すように「徳川配下の武士を愚弄した」と言い残す今井。重苦しい、古い時代の、消え行く武士の姿。

消え行く武士が、もう一組。新選組。
こちらは中岡と遭遇。かつて龍馬を追い詰めた際に助けに入った相手を覚えていた。そして近藤勇自ら、中岡との一騎打ち。
手練れ同士の、接近戦に手に汗を握る。刀を投げつけ、「刀が役に立たなくなる時代がくる」と告げる中岡。前回、龍馬を襲った際に龍馬にも言われた同じことを聞くが、やはり彼らの常識の範疇ではない。受け入れがたい事実。近藤もまた、搾り出すように「そんなことは、わからん」と言い残す。
それはそうだ、彼らは、道場主や浪人が、将軍の保護を目的に集められ、士官できる、武士になれる、という思いで動いてきたのだから。せっかく、武士の地位を手に入れたのに、その幕府を倒され、武士の世の中が終わりになる、刀が通じなくなる、といわれても、そんなことは考えてもいなかったのだから。

中岡と龍馬の最後の語り合い。
中岡の手紙だけで、龍馬は中岡が、薩摩の意向を汲んだ上で、何かあれば自分を斬るつもりで来たことをわかっていた。薩摩や長州が今や龍馬を邪魔だと思っていることも、世の中全てが自分と同じ方向を見ているわけではないことも、わかっている。弥太郎に言われなくても。中岡に言われなくても。
その上で、春嶽公のように話を聞いてくれる人がいること。大政奉還を決断した器をもつ慶喜公がいること。徳川家への忠誠心をもちながら大政奉還を勧めた容堂公の存在。かつては同じ目的をもって行動した長州や薩摩。そういう人たちがいることもわかっている。武力による倒幕を主張していた中岡がわかってくれることも。
だからこそ、龍馬は中岡に、新政府綱領のことを語る。新しい日本の形を。中岡が、納得し、龍馬の「世界への夢の船」に乗ることを受け入れた瞬間、その時がくる。

暗殺犯の、階下での様子はなく、いきなりの襲撃。無音の中の、刀の音と、息遣いだけの、惨劇。暗い画面に血の色が拡がる。
言葉少ない暗殺犯たち。筆頭の今井信郎は弥太郎との会話もあり、暗殺時にも声を発するが、対して共に行動する二人は、無言。無言、無表情の無慈悲な惨劇の最中の彼らから醸し出されるどす黒さは、前述の消え行く武士の暗い深淵。

あっという間に立ち去る暗殺犯たち。残された龍馬と中岡。この二人の最期のやりとりがどうなるか、もう、長いこと注目していたところ。
それは、やはり龍馬伝が紡いできた時間を象徴する会話だった。
直前にしていた「船」の話、泳げない、という中岡への回答、「わしらの船はどんな大嵐でも沈まない」という龍馬・・・。また船のダブルミーニング。今まさに、沈みかけている、二人の命の船。それでも、船は沈まない、と言う龍馬。だが、ふと我に帰り、父八平と恩師千葉定吉の言葉を口にする。
自分は、命を、使い切ったのか、と。
中岡もまた、それに対して「何を言う、まだまだじゃ!」と希望を失わない。
大雨の降る窓辺に向かう中岡。助けを求めているかのよう。
「まだまだか」
「そうじゃのう・・・」
二人の会話は、ここで途切れる。龍馬の言葉が途切れたことを、その意味を知り、中岡が振り絞るように龍馬の名前を呼ぶ。
その声にかぶさる、弥太郎の叫び。
弥太郎もまた、近江屋へ急ぐ中で、暗殺直後の見廻組に出会った。抜き身の刀にこびりつく血痕。それだけで、自体を理解した弥太郎。彼もまた、心の限りを尽くして龍馬を呼ぶ。返してくれと。龍馬を。
この二人の慟哭が、胸に突き刺さった。

そして、暗殺後のシーンは、意外に静か。海辺のお龍の元を龍馬の魂が訪れる。浜辺の残骸の上に立つ龍馬は、この世の人ではない。お龍の、「うーみ」の笑顔は、泣き顔。静かにお龍を見守る権平兄さんと乙女ねえやんの表情も、静か。
かつて、丁寧に描かれた坂本家の描写に、彼らが龍馬の死を知った時どうなるのか、と思っていたけれど、坂本家だけではなく、ほとんど誰の描写もなかった。
それは、例えば龍馬を愛した人々の愁嘆場をただ並べたり、龍馬を邪魔にしていた人々がほくそ笑むシーンを並べても、それは稚拙になる。逆に、今まできちんと見せてきた、龍馬を取り巻く人々の龍馬に抱く感情を想像すれば、答えは簡単だ、ということか。
安易な愁嘆場を作らなかった制作陣の「挑戦」。最後まで挑み続けた龍馬伝チームに拍手。

希望、で終わる龍馬伝。海援隊が作成する辞書にも「HOPE」が入れられる。
希は、弥太郎へ、新政府へ、新しい日本へ、受け継がれてる。明治の弥太郎がいうように、あんな魂をもった人がどれだけいるのか。これから出てくるのか。


ここからは更にどうでもいいチラ裏。

最終回の視聴率は20%を超えた。平均視聴率は下がったというが、視聴率がすべてではなくて、そこにもう一つ、眼に見えない「熱量」のような要素もあると思う。そういう意味で、私が1年間感じてきた龍馬伝に対する熱量はものすごいものだった。
時代劇、というのは、史実の再現ドラマでもなければ、ドキュメンタリーでもなく、違う時代の「人間を描くドラマ」な訳で、そういう意味で、史実を軸にいかにフィクションを取り入れエンタテインメントにするか、ということ。そこには筋立てや美術や装飾による徹底したリアリティの追求と、その上で、ある程度視聴者に想像させる余白、もしくは隙間、があるからこそ、より面白いものになるんだと思う。その余白、隙間を作るのも、実は脚本であり役者の演技であり美術や装飾でもある。
そのパラドクスをいいバランスで維持することで最高のエンタテインメントが出来上がる。
そして、その作品は、受け止める側の想像力にも委ねられている。
そういう意味でも、龍馬伝は受け止める視聴者によってはいかようにも受け止められるし、受け入れられない人もいたのかな。
受け入れることができた人は、この新しい挑戦的なエンタテインメントを満喫し、そして情熱をもって論じることができたのかもしれない。

噂段階では信じられなかったけれど、主演が発表された時は、正直戸惑った。福山氏の、ファンではあるけれど、やはり大役だから。ミュージシャン福山が好きだったから。
だけど、始まって見ればこんなにも夢中になれるドラマだった。それは、福山氏だから、ではなく、龍馬伝という作品そのものの持つ力から。正直、時には福山氏の演技にも「?」な時があった。それでも、それを補って余りあるパワーを感じられる作品だった。
そして、始めから最後まで、福山氏の言葉や考え方には迷いがなく、ブレがない。彼の想いは大きくなり、周囲のパワーも相まって、どんどん大きくなっていく。龍馬伝という大きな仕事を経て、福山氏が得たものは、表面に見えているのは氷山の一角で、計りしれない。これからも、この仕事での出会いが、続いていくはず。
twitterのTLでは、龍馬が福山氏でよかった、というポストが多く見られた。ファンとして素直に嬉しい。そう言ってもらえるのが。何さまだって話は置いておいて・・・。一部ではもちろん批判があることだってわかってる。それをも、スタジオパークの福山氏の言葉通り、一つの意見として冷静に見るようにしている。幕末と同じように、みんなが同じ感想を持つわけではないから。

とにかく、言えることは一つ。
1年間、とても色々な刺激をもらったドラマでした。ありがとう!!
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by yopiko0412 | 2010-11-30 00:20 | 龍馬伝  

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