龍馬伝第二十四話「愛の蛍」

龍馬伝第二十四話『愛の蛍』

先週すっとばしたと思ってた新撰組の池田屋襲撃シーンがちゃんとあった!でも先週のあの「恐ろしさ」効果は素晴らしかったので、うまい演出だなあ~。

今週は、龍馬が亀弥太の死を乗り越える様、と、武市さんとお富さん夫妻の絆を描くのに、坂本家と岩崎家の3家の対比。



怒りで新撰組に立ち向かおうとする龍馬を止めたのは、ほっかむりで逃げてる桂さん。近江屋へ逃げ込むけど、目をつけられてるから、と一時的にお龍の家にお世話になる龍馬。だけど、亀弥太の死の悔しさばかりにいっぱいの龍馬。
それを先に進ませたのは、お龍の言葉。ごぼうは洗わせてくれないけど、お互いの身の上話をして、少し打ち解けた様子。亀弥太は志を貫いて死んだのではないか、それを褒めてやるべきではないか、というお龍の言葉は、龍馬に何かを気付かせた。「そうだ、おまんの言う通りだ」はもちろん早く京都を抜け出した方が、という部分じゃなくて、亀弥太についてのお龍の言葉にかかってる。
今回、お龍の家でお龍の母の病気の話と、自分の母を病で亡くした話をした上での最後の寺田屋お登勢さんへの伏線は、わかりやすい。
お龍の家での龍馬のあれこれは、土佐にいたころの龍馬から変わってない、誰にも分け隔てない、そしてお金なんかより、心を大事にする龍馬の人柄が柔らかく描かれていた。

お龍が、身の上話をして、だから攘夷の浪士がきらい、新撰組も嫌い、と言っていたけれど、それなのに攘夷派を匿う宿屋で働いていて、攘夷派に肩入れはしないけれど邪魔もしない、龍馬のことも、匿い、亀弥太について意見をしたのはなんでか、考えた。
彼女は、きっと攘夷派の志を、この世の中をなんとかしなければ、という想いは感じていたのではないか。そして、父が攘夷派の志士を治療したのは、父が攘夷派に肩入れいていたからか、または攘夷派であろうとなかろうと、医師として人を助けると言う志を貫いたからか、わからないけれど、そういうことはわかっていた。けれど、志があっても、世の中をなんとかしなければと思っても、「命」を失ってはいけないということも、肌で感じている。だから、命のやりとりをする攘夷派や新撰組に敵意を示す。
だけど、龍馬は彼らとは違う。命の重みに涙し、親友の死に悔しさを表す。そんな「何かが違う」ものを龍馬に感じたのではないかな。

今回は土佐パートが多くて、お富さんのことを思う人々の心が温かい。
坂本家は声を掛けたり、絵を貸してあげてたり、すいかをもたせてあげたり。
だけど、弥太郎は憎まれ口をききながら、家の修繕をして、自分の嫁&子供自慢。で、お富さんに子供がいないことを知るとちょっと申し訳なさそうなのは、彼なりの優しさ。
でもお富さんには弥太郎の気持ちは伝わってるし、かえって変に優しく気遣われるのとは違う種類の優しさ。弥太郎と話をするお富さんの表情が、少し明るく感じた気がした。

そうして、丁寧に描かれた、武市さんお富さん夫妻の愛の証は、蛍。お富さんを気遣って牢番に伝言を伝えた武市さんへのお富さんの返事は、庭に集う蛍。場所は違えど、同じ蛍を見る。少しでも同じ時間を過ごしているために。見えない絆。お互いが、お互いを気遣ってる夫婦。
坂本家の家族団欒の中で語られる、武市さんとお富さんの絆。子供ができなくても夫婦であり、他に子供を作ることなど考えない武市さんのまっすぐな気持ち。
岩崎家では弥太郎と喜勢が春路を静かにあやしてる。
この3家の様子がゆっくりと移り変わる。それぞれの、愛の形。

このシーン、印象的だったのは、人物だけじゃない総合的な演出というか。武市家ではつがいの金魚鉢と蛍を見る、お富さんの後ろに広がる暗い畳の部屋の空洞。横に置かれたすいか。どちらも、一人ぼっちの武市家を象徴している。
坂本家では、にぎやかに人々が集まり、すいかを食べながら、団欒。明かりもあり、和やかな雰囲気。
岩崎家では貧しいながらも、子供と言う光が中心にあり、優しく子守唄を歌う二人。
明かり、には希望、という意味合いもあるのかもしれない。
蛍の光は、美しい。美しいけれど、果てしなく儚い光。

お龍の言葉で、先へ進む気持ちがついた龍馬は、亀弥太の死を無駄にしないことを誓いながら、帰途につく。今度も、仲間の死を乗り越えて、仲間との別れから何かを得る龍馬。そして、別れの反対に、新しい出会いもある。お龍との出会いであり、お登勢との出会いであり。

そして、以蔵は激しい拷問に耐え、その声に武市さんは精神的な苦痛に苛まれる。以蔵にもすまないという気持ちがあるけれど、だからといって弥太郎のいうように自分のしてきたことを、今から否定することはできないし、自分が大殿さまのため、と言ってきた事を覆すわけにもいかない。「武士として」守らなければいけない自分の信念を、貫くのみ。そして、それはお富さんにもわかっていること。

その大殿さまは、先週の極楽浄土絵図を見ている。そこへ深山宗林という茶道家が訪れ、その訪問に喜ぶ。小間の茶室での一席、お茶を飲み、美味しい、と呟き、宗林先生の言葉に、嬉しそうに涙ぐむ容堂公は、どこか寂しさを抱えているのかもしれない。近藤さんが言っていた「土佐の頂点に君臨しながら、極楽にあこがれる容堂公の哀しさ」が少しずつ表れている。一時、拷問を禁止したのも、その哀しさ故だったのか、と。

来週はまた歴史の大事件発生。まだまだ当事者じゃない龍馬だけど、どんどん巻き込まれていく。
あの海軍操練所もおさらば、ですか・・・。
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by yopiko0412 | 2010-06-14 00:26 | 龍馬伝  

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