龍馬伝第二十話「収二郎、無念」

龍馬伝第二十話『収二郎、無念』

龍馬パート、弥太郎パートがそれぞれ個性的に描かれる中での、土佐勤王党の終焉に向かう武市パートが重苦しい対比を見せていた今回。




龍馬は自らの道を進む中で、それでも収二郎と武市のことが心配で、勝先生に相談に行くが、そこで教わったのは、同じ物事でも、どこからどう見るか、で見え方が違う、ということ。
確かに、勤王党は彼ら自身は土佐のため、大殿さまのため、と思っていたが、それが実際に土佐上層部にそのように映っていたのかどうか、というのはわからないし、彼らの誤解であり武市の刷り込みであり武市のたった一つの芯だった。
先週、龍馬との会談で見せた武市の芯、彼の信念、彼が曲げられない何か、を今週も貫いていた。それは、加尾との会話の中にも垣間見えた。しかし、大殿さまとの面会で、収二郎を救えないことを悟った武市は、自分が悪かった、と、自分が巻き込んだのだ、と後悔を口にする。でも、今度は収二郎から逆に、武市が今まで示してきた言葉を突き付けられる。
そう、武市は、また自分が発した言葉を、自分の身で受け止めることになった。以前、『土佐沸騰』の時、武市の言葉を真に受けて上士に刃向って切腹させられた同士に対して、「切腹して、武士の本懐を遂げた」などと言ったことが、ここで収二郎から発せられた「切腹は武士の誉れ」「喜んでお受けするべきこと」という言葉につながってる。
これほど、自分の言動が自分の身に跳ね返ってくる武市の無念さも、計りしれない。

龍馬パートは、権平兄さんの訪問が、勝塾の面々の龍馬への信頼だったり、いなくなっては困る、という思いだったりを表現。龍馬を連れ戻しにきた権平さんを説得するのではなく、一緒に訓練に巻き込むことで思い直してもらおう、という長次郎の考えも、言ってきかせてわからせるものではない、肌で感じてわかるものだ、という勝先生の言葉その通り。
その頃京都の勝先生からいきなり福井へ行って千両借りて来い!てとんでもない指令を受けた龍馬は、そこで、再会と、新しい出会いをする。再会は、もちろん春嶽公。以前の訪問時とは成長した龍馬に、春嶽公も面白い、と再認識。そして、出会いは、横井小楠。この人、画面的にはなんだか胡散臭い人のように見えていたけれど、春嶽公のところにいるのだから・・・と思っていたら、進歩的であり、極めて冷静かつ中立的なんだけど・・・ちょっと冷たい。
今後龍馬とどういう関わりを持つのか楽しみ。
やっと大阪に戻った龍馬は、すっかり連れもどる気をなくした権平兄さんと対面。この二人の会話が・・・わかっているけどここでそれを言うか、と。収二郎の無念を描く、その時に、将来収二郎と同じく、志半ばで命を落とす人に、それを言うか・・・と。そして10年後、という言葉がまた重い。5年後でもない、10年後なんだね・・・まだ見ぬ10年後に希望を持っている龍馬、胸を張って土佐に帰れる男になっていることを語る龍馬が、哀しいほどに眩しい。
土佐での坂本家のかしましさも、龍馬の死を知った彼らのことを想像すると、強烈な伏線にもなっていると思ってしまう。権平兄さんも、今は家には男が一人、肩身が狭い、と言っているけれど、将来本当に坂本家の男子は一人、になってしまう日がくる・・・。

弥太郎パートは、重い雰囲気の中で明るい光を差し込むスパイス。結局商売もうまくいかず、へろへろになって喜勢さんにどうして嫁に来た、どうして逃げ出さない、と涙ながらに問いただす姿は、ああ、それでも喜勢さんに苦労かけてるってわかってるんだな、と。なんとかしたいと思って頑張ってるけど、なんともならないんだな、と、憎めない弥太郎。
そんな弥太郎に「占いだから!」とこれまた明後日の方向から返答する喜勢さんステキ(笑)それに、「おまけ」作戦なんてどこで覚えたんですか?と言いたくなることをあっさり言ってみたり。この夫婦、ほんとに和みます。

収二郎の切腹は、まばゆいばかりの光の中で。
自分は何も間違ったことをしていない、という堅い信念を貫き通した男が、友を思いやって、その命を終える姿。
その知らせに間違ったことをしていないのに、なぜ死ななければならないのか、と問う加尾。
そして、その言葉に、それを理不尽と思いながら、それが世の中の理だと説く人がいることを知り、それでも「命」の大切さを思い、苦悩する龍馬。
敢えて、武市さんの表情、言葉、がないのが、逆に武市さんの悲愴さを想像するに、この二人以上であっただろう、と思わせられる。

次回は、福山さん本人が、ラジオで早々に注目の回であることを公言している「故郷の友よ」。
また、涙なしには見られないんだろうなあ・・・。
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by yopiko0412 | 2010-05-16 23:23 | 龍馬伝  

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