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龍馬伝第十五話「ふたりの京」

龍馬伝第十五話「ふたりの京」

今回は京都での龍馬と加尾の再会と別れ、の周りに武市と収二郎、以蔵の変容をくっつけた話。




龍馬と加尾のやりとりはまあ置いておいて、武市さんの怖さがもう大変なことに。
前回、以蔵の心を意のままに操ることに成功し、邪魔な土佐の郷廻りを殺させた。さらにそれがエスカレート。以蔵がいる場所で、おもむろに「邪魔な人間」の存在を示す。それだけ。それだけで以蔵はあの襟巻と刀を持って、「先生のお役に立つんだ」という自分だけの正義のために、自分の存在を認めてもらうために、人を殺める。武市のやり方は狡猾。邪魔者を殺してくれた人間に「感謝しなければ」と以蔵に聞こえるように言ったかと思えば、以蔵が気が大きくなって発した言葉に小さな叱責を加える。さらにすぐさま別の「邪魔な人間」の話をすれば、それで以蔵は名誉挽回のために、また「感謝」されるために、襟巻と刀を掴む。褒められるたびに無邪気な笑顔で「おしっ!」という表情をする以蔵。
だけど、おおっぴらにそれを言うこともできなければ、正面から武市に褒められることはない、あくまで一人だけの満足。それを、土佐勤皇党とは関係ない龍馬と加尾に自慢したい、「自分は先生に感謝されている」と、その矜持を見せたい。
気付いた龍馬に止められるも「言いたい」気持ちは止まらない。
このときの龍馬の以蔵に掛けた言葉が、以蔵にも分かるように簡単に、だけど真理を突いたことを言っているのだけど、これが武市の言っていることと何が違うのか、自分がやっていることとどう違うのか、まだはっきりとは分かってない。ただ、ぼんやりとした何か、だけが心の中にぽんと置かれた感じ。
江戸へ行く道中も、武市の以蔵懐柔は続いていて、江戸でも以蔵を使う気満々。
以蔵の襟巻は、以蔵の初めての人殺しの道具であり、以蔵の罪を知るモノ。そして今は、その襟巻が彼の顔を隠す道具になっている。彼の罪と共に。
以蔵が「楽しくて気が楽だったのは久々」と言っているけれど、つまり、今の彼は「重苦しくて気が休まらない」状況であるということ。周りは政治の話をするが仲間にいれてもらえない、自分も認められたい、という焦燥感。ある種、脱藩前の「居場所がない」龍馬と同じかもしれない。 龍馬には、自分で考え、脱藩することができたけれど、以蔵は「自分は頭が悪い、自分は武市先生の言うとおりにしていればいい」という刷り込みが強すぎた。だから、彼はその居心地の悪さの中で、自分の生きる場所を見つけるしかなかった、外に出ることには思いが寄らない・・・。

龍馬と加尾の再会と、しばしの蜜月と、そして別れ、の流れがやたら丹念に描かれていたけれど、その裏で進められる以蔵の殺し、武市の野望がどんどん叶っていく様、の悲壮感との対比のためなのかな、と感じました。
加尾は、別れを決めた際、敢えて土佐弁から京言葉にして龍馬に話しかけてる。これは彼女の決意の表れ。だけど、また戻ってしまう、弱さも表現。そして再び「おまさん」という言葉が効果的。前回の「おまさん」は精神的に、だったけど、今回のは本当の意味で、なのだけど、でも今生の別れになることを分かってる。まさか、弥太郎の勘違いプロポーズの「おまっさんと呼んでくれ!」がここまでひきずる伏線だったとは思わなかった・・・。

今回、収二郎も、加尾から「攘夷のためなら何をしてもいいのか?」と問われ、つい「妹を犠牲にしても、邪魔な人間を殺しても」と口走ってしまうのも、収二郎の葛藤が少し、表わされていたのだけど、彼も結局武市と同じくダークサイドに着いていく、という決意を、以蔵への殺しの仕掛けに武市を手伝ったことで新たにしたのかもしれない。それは、自分が今まで生きてきた道を否定することができないから。既に妹を犠牲にしてしまったから。既に以蔵の殺しを知ってしまったから。

龍馬も、江戸へ向かう。以蔵も、江戸へ向かう。時代はどんどん動き、史実は曲げられない。これからの展開を思うと、今丹念に描かれている彼らが、どんな結末へ向かうのか、どんな描かれ方をするのか、見守りたい。

by yopiko0412 | 2010-04-11 22:58 | 龍馬伝  

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