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JIN-仁-最終回

坂の上の雲に30分被ってるにもかかわらず、そしてイワユル人気若手俳優が出ているわけでもないのに(あ、喬太郎さんに失礼?)、高視聴率で最終回を迎えた仁先生。ラストの1カットはちょっと蛇足でしたが、仁先生と登場人物の人生を鮮やかに描いた、いい最終回だったと思います。(少数意見なのは承知の上。)



結局、タイムスリップの謎はまったく解けずだったけど、もはやタイムスリップの謎解きを楽しんでいたわけではないからかなあ、満足できたのは。だって、それ以上に仁先生を取り巻く江戸の群像劇が本当に楽しく、美しく、そして儚い。彼らの人生の一部分を切り取って見せてもらった、という印象で、だから最後に各登場人物の「今」がちょっとずつ流れたのも、彼らの人生がまだまだ、普通に、未来のことを気にせず、あるがままに流れていくことを見せてくれたのだと思います。

仁先生は、江戸にタイムスリップして医療に取り組み、そして野風の乳がんを治すことで、現代で恋人の未来を助けられなかったという後悔の中に埋没する自分から抜け出せた。病の種類は違えども、「その時の現代」では治すことが難しいとされる病気であり、そして野風も未来も、失敗してもいい、それが医術の足しになるならば本望、という同じ思いで、そして同じように仁先生に想いを寄せ、仁先生を信頼して任せた、という意味で、同じ条件の下の手術。そして、江戸では野風を助けることができた。それこそ、仁先生がタイムスリップした意味なんじゃないかな。
それによって、未来との唯一の接点であった写真を失ってしまったけれど、それは「解放」だと解釈する仁先生。未来から解放されたんじゃなく、知らず、自分自身の呪縛から解放されたということ。何をしたところで、どんな影響があるのか、何が起こって、何が変わるのか、わかるはずもない、バタフライエフェクト。だからこそ、いい方向に変わることを期待することも出来る、写真がなくても。
そういえば、同じくタイムトラベルもの(そして同じくタイムパラドクス満載の)Back to the Futureシリーズでも、最終的に、未来から持ち帰ったFAX用紙は白紙になってしまった。ドクは、未来は自分たちで作っていくものだ、と言って時空の旅に飛んでいく。そういうことなんじゃないかな。

・万華鏡の中の石は同じなのに、組み合わせによって見える模様が変わるだけ(野風)
・水は雪、氷、水蒸気と姿を変えるけれど、結局は同じ水であり、目に見えなくても水は存在する(咲)
・10年先、100年先のことを知ったところで、一日一日が進んでいくだけ(龍馬)
それぞれが、それぞれの言葉で、「今、あるがままに生きること」を表現した名台詞。

「器」の話、「江戸の火消しの心意気、医者の心意気」の話、など、今までの各回も、それぞれ印象的な台詞やシーンがあり、忘れていた純粋な気持ちだったり一途な気持ちだったりを呼び覚まされる、そしてはらはらどきどきしつつ、さわやかな感動を味わう、いいドラマでした。

by yopiko0412 | 2009-12-21 19:44 | ドラマ  

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