劇団☆新感線『蛮幽鬼』2回目

2009/10/19-18:00開演 新橋演舞場

2回目の蛮幽鬼、1回目の感想がまだ途中だけど、なんか今日はものすっごい「キタ」ので今のうちに書いておくことに!



とりあえず、今日のハプニングとか日ネタ。
冒頭、じゅんさん登場後に見事にすっころぶシーン、転ぶのは台本の通りだけど、今日は勢いあまって衣装の帽子みたいのが取れた!しばし手に持っておろおろ。それを見て後ろで本気で笑ってる息子(中の人は僧正)がまた面白い(笑)
で、諦めて袖にその帽子(の残骸)を投げるも、袖のスピーカーに当たってころころっと・・・。「あぁっ」というジェスチャーをして悔しがるじゅんさん。そこから勢いでコール&レスポンス行っちゃいました~(爆)

連行されるときのネタは、「おい、弁護士呼んでくれ!でも金がないから国選弁護士で!ダメならせめて建設会社の社長を呼んでくれ!」ここ大爆笑!
「道玄坂で・・・道玄坂で下着を調べるのか?」これも大爆笑!
てか、そのネタいいんでしょうか?収録入ってたんだけど~(爆)
花道に入っていくのを嫌がって、「あっちに行こうよ。ていうかなぜ人通りの多い方へ行くんだ?」(笑)
で、まだまだ続く、「いやー3回転が跳べてたら、勝てたのに、真央ちゃん」とか。
ラストは「死ぬ前にストパーをかけさせてくれ!」だった。(のをTwitterで教えてもらったです。)
とにかくずーっとしゃべってた。さすが古田新太さんいわく「足し算の笑い」のじゅんさん(爆)
確実に、初日付近より増えてましたよー!

あと、鳳来国に戻ってきた土門が蛮神教を抑えにきた浮名をさんざんもちあげまくってこけにするシーンの上川さんが、エスカレートしてたなあ~。声色も変えちゃって、声震わせたり、おかしみ倍増。土門は遊べないからね、基本。上川さん的にはあそこが楽しみどころ~♪


で、今回は花道すっぽん真横というすごい位置だったので、前回見えなかった表情とか、仕草とか、色々見えるし、ド迫力だしで、さらにストーリーが分かってるからこそなのか、前回咀嚼できなかったことが咀嚼できたようで、色んなことを考えたり、納得したり、想像したり。

花道すっぽん演技はほんとうに間近で、間近すぎてなんだかこっちが気恥ずかしいくらいな距離でガン見。だからこそ、見えたもの。
その一番は、ペナンの最期のシーン。
ペナンが息絶え絶えになり、土門が抱き寄せるんだけど、そこで前のシーンからの続きで「もう何もかも忘れて、船で海へ出よう、貿易をしよう」と訴えるペナンに、土門は必死に、泣きながら、笑い顔を作って「そうだな」ていうの(涙)
土門は、復讐の鬼になってから普通にはあまり笑わない。だけど、ペナンの最期の言葉に、必死で安心させようと、笑顔で嘘をつく。でも、ペナンもわかってるんだ、だから「嘘はいけない・・・」と死んでいく。
ペナンは土門を愛してた。きっと。美古都の登場で動揺する土門を見て、ペナンも動揺してた。その後も美古都の話が出るたびに、ペナンも動揺してた。いつだって、土門を愛するからこそ復讐を助け、土門のそばにいた。だからこそ、土門が苦しんでいることも分かってたんだろう。だから、空麿と浮名たちを殺したあと、「復讐は終わった、海へでよう」と説得した。これ以上土門が苦しまないように。復讐心だけでは苦しみしか生まないのを、分かっていたかのように。
でもそんな彼女の想いとは逆に、土門はペナンたちの復讐に走る。それもまた、土門がペナンたちを大切な仲間と思っていたから。ペナンを愛していたかは・・・多分違うと思う。だけど、彼にとって「信ずるに足るもの」の一人であったことは間違いない。

そう、「信じる」という言葉が、一つのテーマ。
土門は、信じる者に裏切られた。だからこそ、裏切られた後に出会った者たちのことを殊更に信じようとしたんじゃないか。その最たる例が、サジ。サジの太刀筋と調部の傷、引っかかるものがあったにも関わらず、それでも土門はサジを信じたかった。サジが大王を殺したという話も、信じたくはなかった。それがかつて愛した女性とかつての親友の言葉だったとしても、それは彼が失った信じる者たちの言葉。飛頭蛮としての土門にとっては、新しい「信ずるに足る」親友を信じたかった。それが、彼の想い。
だから、最期になっても彼はサジにいう。「お前は人を名前で呼んだことがなかったな。次に会うときは本当の名前を呼びたいものだ。」と。
この「名前」が「信じる」の一つのファクターな気がする。物や人、万物には全て「真名(まな)」があり、その真名を知られた相手には逆らえない、という概念が、ある。確か指輪物語でも同じような概念があったし、以前読んだ何かの漫画にも、同じく真名の概念があった。そして、「逆らえない」ということは「支配される」につながるんだけど、それが時としては「お互いに信じる者同士がお互いの真名を交換する」つまり「信頼の証」として「名前」を共有する、というふうに転じることができる。
この表裏一体の概念が、まさにこの「名前」のやり取りにもあったのかもしれない。サジは返す。「本当の名前?そんなものはない。君にはあるのかい?」と。
サジは、「信じる」ことを教えられなかった。教えられたのは、殺し方と、裏切は死に値する、という掟だけ。そこには本来「信頼」の概念があってこその「裏切り」なんだけど、そこはきっと教えられてない。だからサジは信じることを知らない。人から自分が信じられるという経験もなかった。ひたすらに、殺すことと、裏切り者に滅びを与えることしか考えない。
でも、土門はサジを信じた。ペナンたちも信じた。サジに居場所を密告されて襲われたとき「サジはどこですか?」とペナンが叫び、「あいつがこんなやつらに負けるわけがない」と返した土門は、間違いなくサジを信じていた。
土門とサジの最期の問答。
「ここは監獄島だ。苦しいはずだ、監獄島にいるんだから。俺達はずっと捕らわれたままだったんだ。」という土門。サジは動揺する。初めての動揺。そう、二人とも、捕らわれていた。土門は信頼を失ったという事実を復讐に転化して。サジは裏切り者には死を、という掟に。
どちらも、「信じる」心が間違って作用したナニカ。そのナニカに捕らわれたままの二人は、苦しかったんだ。土門はサジの苦しみもきっと理解したんだろう。その上でも、やっぱり一度は信じた人間をもう失いたくなかった、だからあの「名前」の話をしたのか。
でも「本当の名前なんてない」というサジの言葉もまた重い真実。そう言われて、一瞬美古都を見てから、「それもそうだな・・・」と悲しそうにつぶやいた。それは、今この状況にいる自分を客観的に見た結果。ちょっとしたボタンの掛け違いでそうなってしまった。いつまでも監獄島に捕らわれていたから。
だから、サジを殺したあと、「俺を監獄島から解放してくれ」と懇願する。最期は「外の光だ」と、まさに魂が解放された土門。
土門は美古都に大王として生きる道を、進むべき道を残した。逆族を討ち取らせることで、人心を掌握できるように。そして、蛮教を絶やすために。気高い理想をもつ美古都を信じて。宗教がなくなったあと、彼女がどういう国を作るかは、彼女に託された。
だから、美古都は宣言する。「私はこの国を、この国を!・・・」国をどうするか、はセリフでは発しない。「治めます」なのか、「守ります」なのか、もっと違う言葉なのか。それは、観客に委ねられている。だから、脚本の中島かずきさんはインタビューで「開いて終わっている」と言っている。「開いた状態で終われるのは、舞台の特徴」と言っているように、こうしてあとから反芻しては色々なことを考える「隙間」「のりしろ」「余白」を残してくれている。

初めに見たときは「土門と美古都の愛がどれほど深いのかがわかりにくい」と思った。その時は、逆に、愛するのと同じくらい憎い、と考えたら、あの土門の激しい憎しみの対極の位置にあるくらい愛情があったということにも読み取れる、と思った。
それは自分の中ではあまり変わってない。でも今日観てひとつ気付いたのは、二人のたった一度の、直接的な愛情表現。土門は、美古都に斬られ、躊躇する美古都を刀ごと抱き寄せて深く斬られる、その時、彼は彼女をしっかりと両腕で抱きしめている・・・。
そして美古都は命尽きた土門に口づけをし、女王の宣言をする。
それまでは、お互いの姿をみた瞬間に目を見張り、お互いに言葉の裏で探り合っていた二人だけれど。
最期の最期だけは、直接的な愛情表現を、たった一度だけ、刻むことができた。悲しいのか、一つの救いなのかは、わからないけれど・・・切ない。

もう一人、分かりにくかったのは、刀衣。彼が美古都にあれほど忠誠を尽くす理由がわかりにくい、と思っていた。でもきっと、美古都はローアンの殺し屋だった彼の過去を知り、それでも庇護したのかと。そして昔のことを忘れ、人を殺すために戦うのではなく、守るために戦うことを教えた。ある意味サジが知らなかった「信頼」を教えたのかもしれない。だから彼は「誰かのために死ぬことができる喜び」を知ることができた。できればそんな喜びは知らない方がいいけれど・・・それは彼の背負った宿命。
サジと初めに対峙した時「自分の意思で動く殺し屋は早死にする」と言われたけれど、サジはサジで自分の意思で動いていた。ただ、その自分の意思を決定するためにあったのが、「信頼」だったのがサジと刀衣の違い。
ここにも「信じる」ことの意味が盛り込まれている。

あと、見えたのは「サジの笑いの種類」。これが、パカっと口を開けて笑ってるのもあれば、にぃっと口を閉じて横に笑ってるのもあり、舌を出して笑ってるのもあり、目の開き具合もいちいち違うのだ。笑いの表現何種類あるんですか、堺さん!
そんなサジだから、最期の土門との問答での表情がこれまたぐっとくるのです・・・。なんかちょっと苦しげなんだよね、一瞬、歪む。でも、また笑顔に戻る。てか、戻す。右近ちゃん大王いわく「この世に楽しいことなんてないって悟っちゃった笑顔」なサジは、とても悲しい笑顔がデフォルトだってことです。
本当に、次の世界では、土門と心から笑っててほしいと思ってしまう。
おかしいなー怖い殺人マッシーンだったはずが・・・。

1幕ラスト、改めて復讐を誓う土門にサジがさらに発破をかける。お二人とも、つば飛ばしまくりの熱演。つばかかりそうな位置でしたけど、私(^_^;)
上川さんの、丹田から震える声、手も震えて、目も見開き、血走り、汗が涙にも見える。サジもあいまいな笑顔を湛えながら、強い語調で土門をたきつける、滅ぼしてしまえばいい、君が王になるんだ、と。この二人の壮絶なやり取りを間近で見られたのは、本当に眼福でした。

ちなみに、今日は収録も入ってたのですが、相変わらずカメラの台数が半端ありません!全景用と、寄り用と、全方位からのアングルと・・・すごい数。あれがどういう映像になるのか、楽しみでしかたない。そのカメラ、もちろん1列目にも設置されてましたが、カメラの真ん前で座りこんでの演技・・・うっかりカメラ目線しちゃわないんだろうか?てか意識しなくてもカメラ目線になってしまうのでは?と思ったり。ま、こちらはリアルに真ん前に座られてたんで、DVDの前にドアップを堪能しましたが(笑)

なんかもう支離滅裂ですが、思うがまま、想いのたけを書き残しておきたくて。こういう衝動に駆られることってそうそう多くはないので、今日の芝居が相当キテしまったということです。
それが、席のせいなのか、2度目だからなのか、舞台がかなりこなれてきたからなのか、まあ多分その全ての要素が絡まってなんでしょうけれど、とにかくやっぱり新感線は2度観ないと。できれば、引きと寄りで。できれば、前半日程と後半日程で。
自分の中で、いのうえ歌舞伎では「阿修羅(生でみたのは2003)」「アカドクロ」「朧」がもうなんかインパクト強すぎだったので、前回観たあとは面白いけどあそこまでの衝撃が・・・なんて思ったりもしたんだけど、そんなことなかった。かなり、キました。ゲキ×シネやDVDでまたどう化けるかも楽しみです。

(あ・・・1回目の感想、めちゃ途中まで書いてあるの、あれどうしよう・・・この文章もかなりめちゃくちゃなのになあ・・・。)

追記。
「信じる」を考えてたら、「宗教」もまた、「信じる心」そのものだな、と。宗教を信じる者たちの人心を掌握するものであり、それが例えば空麿と浮名のように使えば「支配」「搾取」につながり、本来の蛮教の意味できちんと伝われば、それは人々を救うものになる。だから、蛮教を失った鳳来国を、美古都がどんな「教え」で導くのか、どんな「信じる心」を育てるのか、そこにも繋がってるのかもしれない。
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by yopiko0412 | 2009-10-20 01:51 | 演劇  

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