『現代版 桜姫』

2009/6/28-14:00開演 シアターコクーン

今年はコクーン歌舞伎と現代版との2本連続上演という試みで、題材は桜姫。
コクーン歌舞伎の桜姫は2005年版で観たので、今回は現代版です。てか、長塚氏はいったいこの脚本いつ書いたんでしょうか・・・。

元のお話を復習し忘れてたので、話が進むにつれ「ああ、そうだったそうだった!」と思い出す、という感じで。でもところどころ、オリジナルっぽかったりもしつつ。



これって、導入と結びが墓守の二人になっていて、彼らが物語りの中にも色々な役割で登場しては進めている感じだったんですが、単なる狂言回しだったのか、それともたとえば女の墓守(大竹さん)はジョゼの移り身で、セルゲイを導いてたのかしら、とか深読みは色々できます。でも、冒頭彼らが焼いていた心中した男女は結局誰だったんでしょう?あれは導入であって物語の登場人物ではなかった、ということでしょうか。セルゲイを物語りに引き込むきっかけ?

大体の筋は桜姫どおりのはずなんだけど、そこに墓守が関わったり、虚実が入り乱れたりするので少々混乱。まあフェイクの部分やモチーフの部分をあれこれ考えても仕方ないのですが、マリアが列車の中で突然抱いていた人形が赤子を示唆していて、赤子はそれからいろんな人の手を介していくんだけど、最終的にセルゲイが守っていた赤子はやっぱり人形で・・・でもあの赤子を最初にマリアに手渡したのは、実は墓守。墓守がセルゲイに切符を渡し、セルゲイが切符をマリアに渡し、マリアは切符と人形を交換する・・・この辺は、女の墓守=マリア=ジョゼで、セルゲイを導いてるのかな、と思わせられる部分。もう一つ、女郎稼業をしている男女。これが墓守の二人なのか、女はマリアなのか、墓守がマリアなのか・・・「そろそろ終わりにしてあげようか」みたいな言葉をセルゲイに関して発していたので、やっぱりこれもセルゲイを導く女なのかな、と思った部分。
清玄と権助は一人二役で演じられることが多くて、今回はセルゲイとゴンザレスは別の人が演じていたけれど、でもこの二人はやっぱり「表裏一体」なんだと思わせられたのが、「自分が不幸になっている時は、どこかにいるもう一人の自分がその分幸せになっているんだ」という定義。これってまさに表裏一体の世界観。最終的に彼らは同じ人間をマリアとジョゼに見立てて正反対の位置にいて、それぞれ不幸になったり浮き上がったりしてる。でも最終的には二人は違う業を背負ってマリア(ジョゼ)と対面することになり、そこから逃れられない。
ラストの白井さんのセルゲイの圧倒的な存在感にやられた。あの瞬間劇場を支配していたのは白井さんから発せられる洪水のような感情だけ。でも、あれだけの感情の露出にも関わらず、セルゲイもゴンザレスも生きていたのがちょっと飲み込めない・・・。

もう一つ、印象的だったのは「過去」「現在」「未来」の定義。過去は思い出という名の幻想、未来は願望という名の幻想、確かなのは今この瞬間だけ、というココージオの言葉が、なんだかすっごく響いた。でも。思い出があるから、未来に希望を持つから、人間は人間なんじゃないのかな、とも思ったり。「モモ」という小説では「現在」はいつもいない、なぜかと言えば時は常に流れていて、今現在だと思っている時間は次の瞬間には「過去」になっているから、という描写があった、あの描写も、私には強烈な「時間の概念」なんだけど。
長塚さんがこの定義にどんな意味を持たせていたのか、もうちょっと考えてみたい気がします。こういう概念的なところを考えるのもおもしろい。

今回、変形舞台とは聞いていたし、席種も特殊だったけど、無難にS席の椅子席にしました。確かにバルコニー席やベンチシート席は舞台を違った角度から見たり、舞台にちょっと参加してみたり、役者さんが間近に見えたり、と特典がありますが、でも逆に見切れる部分も多かったのではないかな、と思います。好みでしょうけれど、私は1度しか観られない場合は、きちんと正面から全体を見たいので、正解だったなーと思ってます。
それにしても、相変わらずコクーンは柔軟にどんな舞台機構もやってしまう・・・と感嘆。
バルコニー席が芝居開始後に移動してステージバック席状態になったのにはびっくりしました~。

役者陣も個性的かつ多彩で面白かったけど、一番印象に残ったのは、セルゲイの白井さん。久々にがっつり役者名白井さんを見たけど、最後の大詰めでの白井さんにもっていかれた感じが。大竹さんの変幻自在っぷりが、マリアと墓守の入れ違いにいいアクセントになっていたかな。しかしマリアの時もうちょっと可憐さがほしかったような~。勘三郎さんは、登場したときちょっと笑えるくらいのギラギラさが印象的(笑)でも口調はべらんめいのままだから不思議な感じがしました。
古田さんは胡散臭さがにじみでてたけど、でもやっぱりどこかキュートに見えるのはなぜなんだろう?後半の肉襦袢状態が唐突でびっくりしたけど、秋山さんとの後半の絡み方が好きでした。秋山さんはもうかっこいいやらきれいやら、ぶれないし、ほんっとに舞台を締める存在感があって・・・。ラストの、「どうしてそうして立っているの?」のシーンの絶望感がひしひしと伝わる口調と表情と立ち姿、そして馬車の中へ消えていく姿がもうそのまま消えてしまいそうな儚さを持っていて・・・この人がさっきまではマングース女だったのが信じられないわけです(笑)
もう一人の狂言回し笹野さんは縦横無尽、トランペットまで吹いてるし~。でもこの方、見慣れてくるといつも同じ雰囲気の役が多いので、たまには違う感じの役で見てみたいなあ、と思います。あれがはまっちゃうからああいう役ばっかり、なのもわかるけど・・・。

歌舞伎版は今回は観る予定がないんですが、今までとはまた趣向が違ってたりするんでしょうか?わざわざこの現代版と連続上演するんだから何かリンクがあったりするのかな、と思うと観たくもなりますが・・・(汗)
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by yopiko0412 | 2009-07-12 11:26 | 演劇  

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